人権cafe vol7|平和的生存権
好きなものを着たり、食べたり、観たり、聴いたり、そして、好きな人と結ばれる。そんな日々を送ることは、すべての人々の権利です。そのために政治にものを言い、行動することも私たちの権利です。しかし、こうした人権は平和がなければ成り立ちません。
平和がすべての土台
戦禍の続いたアフガニスタンでは、人口の半数にあたる1,800万人以上が食料や衣料などの支援を必要としています(2021年9月)。そのうちの1,000万人近くが子どもで、今年末には5歳未満の100万人が深刻な栄養失調になると言われています(*1)。戦火や混乱から非難した人々(難民)は、世界で8千万人と言われます(*2)。これらの人々が人間らしく生きるには、まずは平和と安全が欠かせません。
「平和に生きる」ことが権利(平和的生存権)であるという考えは、20世紀に人類が新たに手にしたものです。二度の世界大戦の悲惨で、破滅的な体験をしたことが背景にあります。どんなに人権を守ろうとしても、戦争が起きれば、すべてがぶち壊しになるということを、人々はいやというほど感じたのです。
(*1)ユニセフ(国連児童基金)事務局長声明、2021年8月23日
(*2)国連高等弁務官事務所(UNHCR)、2020年12月9日
コロナ禍のもとでいっそう切実に
これは戦火に苦しむ人たちだけの問題ではありません。
新型コロナウイルス感染拡大で、世界で455万人が命を落とし、アメリカでは70万人近くが犠牲になっています(2021年9月29日現在)。そのアメリカは9.11同時多発テロ事件以降、20年にわたって「テロとの戦争」をすすめ、8兆ドル(約880兆円)もの資金を使ってきました(*3)。これだけのお金が医療体制の強化と感染対策、雇用と営業の支援に使われていたら、違った結果になっていたでしょう。
国連で軍縮問題のトップを務める中満泉国連上級代表は、次のように述べました。「国連の75年の歴史で、莫大な破壊力を持つ兵器で安全保障を確保しようとする愚かさがこれほど明らかであったことはない」(2020年4月28日)。安全を国民一人ひとりのレベルで考えれば、核兵器やミサイルの開発、空母の建造などに力を注ぐことがいかに「愚か」なことであるかは、あきらかです。
(*3)米ブラウン大学「戦争のコスト」プロジェクト2021年9月1日
日本の現実―平和的生存権で変えよう
侵略戦争を深く反省してつくられた日本国憲法は、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」(前文)しています。世界にさきがけて平和的生存権を憲法でうたったのです。戦争放棄、武力不保持、交戦権否定を定めた9条はこれを徹底させるためのものです。
しかし、いまの日本には「平和に生きられない」現実もあります。沖縄や全国各地で、米軍基地の騒音や環境汚染、さらには米兵の犯罪などの被害をうけている人々がいます。被爆者や空襲被害者などの保障も十分ではありません。そして、膨大な軍事費が、くらしや福祉、教育の予算を圧迫しています。平和的生存権を力に声をあげ、この現実を変えていかなければなりません。
一部に、平和的生存権は抽象的な理想だ、という意見もあります。しかし、自衛隊のイラク派遣差止を求めた訴訟で、名古屋高等裁判所は、「平和的生存権は憲法上の『権利』」であり、「基本的人権として承認すべき」とし、これが侵害された場合は「損害賠償を請求できる」との判決を下しました(*4)。
(*4)2008年4月17日
中国や北朝鮮に対しては「抑止力」が必要だと言う人もいます。「抑止」とは、いざというときには武力を行使し、他国民に戦禍をもたらすことに他なりません。しかも、「抑止力」を競いあえば、一触即発のリスクが高まります。憲法に明記されたように平和的生存権は自国のみならず、「全世界の国民」に広げていくべきものです。日本は、外交で紛争の火種を消さなければなりません。核兵器禁止条約に参加することも被爆国として当然です。
平和的生存権を力に、一人ひとりのくらしも、日本も、そして、世界も変えていきましょう。
主権者力をみがく「人権Café」
皆さんは「弁護士」にどんなイメージをお持ちですか?TVドラマに出てくる悪徳な感じでしょうか(笑)、それとも裁判所の玄関から走り出て「勝訴」の紙を広げる熱血な光景でしょうか。
医師に様々な専門分野があるように、弁護士も専門分野や顧客層が違うと働き方もだいぶ違います。それでも弁護士法1条には弁護士の使命は「基本的人権の擁護と社会正義の実現」と定められており、法曹(裁判官・検察官・弁護士)の中で唯一、権力と対峙・対決できるポジションの重要さは多かれ少なかれ自覚しています。
人権というものは、空気や水のように「あるのが当たり前」のものなので、日常生活でそのありがたみを感じることはありません。あるとすれば、それは人権を侵された時です。弁護士として働き始めて出会った、夫に殴られ続けて鼓膜が破れて歯も折れてしまった女性。介護離職したけれど生活保護の申請を拒まれた人。残業に次ぐ残業で身体も心も病んでしまった人。いずれも、自由な、その人らしい尊厳ある人生が踏みにじられていました。それがどれだけむごく許されないことか、教科書の知識だけでは到底想像しきれず、現実に苦しむ方々に教えられて、やっと自分(弁護士)が一緒にたたかって尊厳を取り戻すことの意義が理解できた気がします。
憲法にはたくさんの人権と、人権を守るための政治システムが定められています。政治や社会が憲法から離れていったときに「それはおかしい」と疑問に思ったり怒ったりすることができるのは、人権の知識や感覚があればこそです。
どんなに政治に無関心でも、無関係ではいられませんし、市民がおかしさに気づいて、「もっといい政治ができるはずだ」と声をあげることでしか、社会は良い方向には進みません。
7号にわたる「人権Café」は、読者一人ひとりの〝主権者力〞を磨くためのヒントの宝庫でした。携わり共に学ぶ機会を頂けたことに、心より感謝申し上げます。
あすわか共同代表
黒澤 いつき
掲載日:2021年11月30日/更新日:2023年5月30日