東京|家族内コロナ感染下、 癌末期40歳代女性の在宅看取りで学んだこと|キラッと看護介護実践集より
医療法人財団 健和会 北千住訪問看護ステーション / 前田 弘実
在宅を望む癌末期女性。本人と家族との間で方向性が違った事例
家にいたいと願う3人の子をもつ癌末期女性とその家族をどう支えていくか、本人と家族との間で、看取りの場の方向性が違った事例を試行錯誤しながら関わった経過を振り返ります。
患者紹介 / A氏 40歳代 女性 / 病名:肝内胆管癌末期、多発骨転移 / 家族構成:夫(仕事あり、在宅勤務可。在宅で必要と思われるケアは指導を受けてきている)、子ども3人(10歳台、10歳台、8歳)の5人暮らし。近所に本人の妹、両親が住んでいて頻回に訪問あり。
X-1年12月、退院カンファレンスはなく、B病院の退院日にC病院からの往診、訪問看護を開始しました。安静度はベッド上でギャッチアップ30度まで可能な状態で、訪問看護は状態観察・排泄管理・保清・内服管理の目的で連日訪問することとなりました。
退院時よりA氏は、尿道留置カテーテルの疼痛・違和感を強く訴えていました。尿パッドを自分で交換する方法を伝えたところ、自分で尿パットを交換する方がいいと希望され、尿道留置カテーテルを抜去することとしました。家族が購入したケリーパットを用いて看護師が洗髪を行うと、家族もケアに参加し「ママ、気持いい?」などと笑いながら実施しました。
数回一緒に洗髪を行うと、その後は家族で行うようになりました。A氏はベッド上にいながらも家族のスケジュール管理や、献立の提案など、妻・母の役割を嬉しそうに行っていました。A氏や夫からリハビリをやりたいとの希望があり、訪問リハビリ導入の調整を行いました。
A氏は寝たきりでしたが、コルセットを着用し立位やPトイレの使用ができるようになり笑顔が増えていきました。体調が安定し、週末の訪問看護を中止するようにもなりました。
コロナ陽性となるが本人の希望通り自宅で看取り
X年3月、A氏は頭痛がひどく大声出し興奮状態となり、夫がB病院へ連絡し、救急搬送され入院となりました。高カルシウム血症の治療を行い2週間後に退院しました。
退院後A氏が「病院では大好きなお風呂に入れた」と話されました。家族は男性スタッフの介助を希望されず、入浴中は男性スタッフが入らないようケアマネジャーとも相談し調整。訪問入浴初回日は訪問看護師も同行し、浴槽への移動方法を訪問入浴スタッフ、ご家族と一緒に検討しました。とても気持ちよさそうに入浴され、次からは訪問看護の同行は不要となりました。
X年4~6月、痛みが強くなり入退院を繰り返しました。退院後、A氏が「みんなが優しすぎるから辛い。病院は嫌だ。ずっと家にいたい」と大泣きし、母親に「大丈夫」と撫でられて安心したように眠ることも。
夫に看取りのパンフレットを説明したところ「苦しんだりパニックになったりしなければ家で看られます」との発言がありました。
X年7月、A氏は大声を出すこともあり、夫の介護疲労は強く、夫は入院を希望しました。しかし、A氏は入院を嫌がったため、「痛みのコントロールをしてもらおう」と説得して受診にこぎつけましたが、A氏は医師に「痛いけど、大丈夫」と言って入院はせず、帰宅したこともありました。その後も笑顔で話すこともありましたが、「痛みが取れても、寝てしまうのは怖い」と真剣に話すこともありました。
X年7月末、子どもの1人がコロナ陽性と判定され翌日から子ども2人も発熱。訪問看護が伺った時に本人も発熱していました。PCR検査実施して陽性と判定。訪問看護は連日の訪問は続けましたが、1日の最後に15分程度の訪問とし、清潔ケアなどは家族に実施してもらいました。夫から入院希望がありましたが、病院側から感染していると入院は難しいとの返答でした。
子どもの発熱の6日後に夫も発熱しコロナ陽性と判定されました。このころA氏はせん妄状態で大声を出す事も。血圧が60台となり家族に本人との残された時間が少ない状態であることを伝えました。次の日、病院から入院可能と連絡が入り、条件として付き添いなし、1人で救急車に乗って来るようにと指示されました。
夫が「今病院に行ったら、今生の別れになるんですよね? 2~3日なら頑張れます」と、入院を断りました。訪問すると、下顎呼吸になり血圧60台。意識もなく夫にお迎えが近いことを伝えました。その日の夜にA氏は母親に手を握られ、家族に見守られながら旅立ちました。約1カ月後、お焼香に伺いました。明るい表情の夫と夫の母親、子ども2人に会うことができました。夫は「本当にありがとうございました。いい葬儀ができました。介護をやりきった思いです。最期までA氏らしかった」と、とてもいい表情で話してくれました。悲しみはあるけれど、前を向いて歩いている姿がありました。
日々のケアを通じ訪問看護チームと信頼関係を構築
長江氏は「人間として大事にされるケアの一つひとつが継続的なコミュニケーションとなり、『その人がどうしたいのか、どうしてほしいのか』を知る手がかりになる。またその人も『この人なら自分のことを理解してくれる』と感じ、伝えたくなり話を切り出すだろう。
その会話ややりとりの連続が看護実践におけるACPであり、その積み重ねがその人が大切にしていること、喜ぶことを知ることにつながり、さらに『その人の意向』の理解や『その人の尊厳を保持する生き方』の理解につながると考える」と、述べています。
今回、退院当初より緩和ケアで必要とされる苦痛の緩和、心理・社会的ケア、スピリチュアルケア、家族ケア、ケアのコーディネーション、教育指導を行うことによって、A氏と家族は訪問看護チームとの間に信頼関係ができていったと考えられます。日々のケアが継続的なコミュニケーションとなり、「この人たちなら自分の事を理解してくれる」と感じたことから、A氏も夫も本音を話してくれたと考えます。
そのA氏の思いに寄り添い、傾聴を積み重ね、家族に思いが伝わるように説明したことで、看取りの場所を意思決定する際に支援させてもらえたのではないかと考えます。そして、A氏の思いは尊重され在宅看取りとなったことで、家族みんなに囲まれ自分の母親に手を握られ寂しい思いもせず安心して旅立てたのではないかと考えます。
コロナ禍で集まって話し合いをすることはできませんでしたが、最期まで途切れることなく訪問を続け、信頼関係を築いてきたことで最期に意思決定支援をさせていただくことができました。今後もその人自身が、自分がどうしたいのかを考え、表現できるよう情報提供したり、揺れる気持ちを受けとめたり、大切な人との意見の調整をしたりなど、働きかけを考えられるような看護をしていきたいです。
未来にのこしたいコロナ禍のキラッと看護介護実践集より引用
もっと読みたい人に!書籍のご紹介
未来にのこしたいコロナ禍のキラッと看護介護実践集

COVID-19が猛威を振るい始めてから3年以上が経過し、ワクチンや治療薬が承認され2023年5月8日に感染症5類になりました。通常の医療を継続しながら、感染対策や陽性者の対応・地域の問い合わせに翻弄させられた日々、「まず診る、支援する、何とかする」を実践した日々を忘れてはいけない。後世に残し継承するために、全国のキラッと看護介護のほんの一場面ですが一冊にまとめました。このコロナ禍で起きたことが、なかったことにされないように今後に同様な事態が起きた時に同じことが繰り返されないように、いのちに寄り添った生きやすい社会であることを切に願います。
全日本民医連 看護委員会
掲載日:2025年12月14日/更新日:2025年12月15日







