和歌山|在宅患者を支えた事例|キラッと看護介護実践集より
面会できない日々が辛いと訴えた家族に寄り添って
和歌山中央医療生活協同組合 看護小規模多機能型居宅介護
生協中之島複合型サービス / 看護主任 中谷 和世
「帰りたい」病状悪化の中、短時間の帰宅を実現
非結核性抗酸菌症・誤嚥性肺炎を繰り返し、20年前から入退院を繰り返していた80歳代男性のA氏は、妻と二人暮らしで療養生活を送っていました。
2022年5月に誤嚥性肺炎で入院するまでは、地域のかかりつけ医と訪問看護を受けながら生活をしていました。
発熱や湿性咳嗽を繰り返すA氏に妻は、とろみのついた食事やお茶を介助しながら不安な日々を過ごしていましたが、できるだけ自宅で過ごすことを目標に頑張ってきました。
今回、A氏は「病院に行きたくない」と拒否していましたが妻の説得で入院することに。病状的にも前回の退院からわずか1週間で再入院で在宅療養の継続は難しい状況でした。
入院中は、家族の面会はできないと分かっていても夫のためにできることはないか、夫に寄り添いたいと毎日手紙を書き病院に届けてはその日の様子を病棟看護師に聞きに通い続けていました。
一人娘の協力もあり、病院通いは続きましたが、主治医からの病状説明は厳しいもので、余命は2、3カ月から半年と言われました。
食事量が増えてきたタイミングで退院許可が出ましたが、妻は「家に帰してやりたいが夜間の不安がある」と悩んでいました。
本人も家族も入院療養中では面会ができないため「早く会いたい」との思いが強く、退院調整チームから看護多機能小規模型居宅介護の利用の相談がありました。
A氏の「早く家に帰りたい」、妻の「早く面会したい。そばにいてやりたい」との希望を叶えるために、利用を決め、少しでも自宅に帰れる支援ができるように関わっていきました。
退院当日から、看多機の泊まりサービスを利用し、妻や娘には30分までの短時間の居室での面会を可能として感染対策を行い、家族と関わりを持っていただきました。
妻は毎日毎日、娘と一緒に面会に来てA氏の好きな食べられそうなものを持参し、声をかける日々が続きました。職員は、毎日通ってくる家族の言葉に耳を傾け「お父さんはこれ好きやったんよ。これならたべてもいいかな」とペースト状の煮物やアイスクリームを受け取り、時には面会時に食事介助を一緒に行いました。
しかし、A氏は食事量が減っていき点滴施行が毎日になり、日に日に活気がなくなっていきました。
訪問診療を自宅で受けるために一度戻る予定がありましたが、循環不全の兆候も認め吸引が必要になる日が増え安定した状態ではありませんでした。そこで、家族と主治医と職員を交えてACPを行うことにしました。
妻は「一度は家に帰してやりたい」という思いと「無理させたくない。しんどい思いはさせたくない」という思いがあり迷っていました。妻は「私では決められない。お父さんに聞いてみようか」と発語も少なくなっていたA氏に聞いてみると小さい声で「帰りたい……」とはっきりと言葉で意思表示があったため短時間でも自宅に戻ることを決意。
民間救急でストレッチャー搬送をする際に職員の看護師が同行し、A氏にも妻にも声をかけながら移動し不安の軽減に努めました。
夏の暑い時期でしたが、玄関先で日傘を差しかけながら自宅に戻ったときに、A氏はあたりを見回し微笑んでいました。
自宅に戻ってから、兄弟や孫が駆けつけ、約6時間過ごし施設に戻ってきてからはほとんど口腔から食事はとれない状態でした。1週間後、退院してからは約2週間後に施設内で看取ることになりましたが、最期の時には妻や娘に付き添ってもらうことができました。
デスカンファレンスで職員の思いを共有
初めての看取りの対応から3週間が経って、職員だけで「デスカンファレンス」で話し合うことにしました。
看護多機能小規模型居宅介護では、看護師だけでなく介護職員が多く、ターミナル期の患者に関わったことがないスタッフが多いです。
食事介助や移乗動作、口腔ケアではアイスマッサージの方法まで、こと細かに看護師が指導をしていきました。病院勤めで在宅看護に戸惑う看護師や、呻吟様の発語が一晩中聞かれることがある中での介護職一人の夜勤は不安でいっぱいだったと思います。
そこで、デスカンファレンスでそれぞれの思いを聞くと、A氏は「奥さんとは15歳からのお付き合いだったらしい」「家族の写真がいっぱいあって言葉は少なかったがジッと見つめていた姿が印象的だった」と病気のA氏・ターミナル期のA氏と捉えるだけではなく今までの生活そのものを捉えて答えてくれた職員や「ずっと付き添っていたいけど、家に連れて帰ると夫に辛い思いをさせてしまうからここにおらしてももらえんやろうか」と妻の思いを聞き取ってくれていた職員もいました。
亡くなる前日に「もう死にたい」と発語もほとんど聞かれなくなった状態でA氏が発した言葉に心を痛めていた職員もいました。看護師職員は、かかりつけ医と連携をとり点滴、吸引、酸素療法の必要性やターミナル期における医療行為の差し控えについても相談しながら看護していきましたが、時間外や夜間の対応には、発熱時にも受診や検査が容易ではないことに困難さはありました。
施設の対応でも感染対策をしながら、デイルームでの面会はせずに、居室内に短時間入っての面会や、家族に話を聞く際には換気のできる玄関先の面談室を使うなどを徹底していきました
。介護職員は、ベッドのギャッジアップの角度や排痰する際の姿勢、オムツ交換時の注意点を看護師職員に相談し指導を受けながら関わっていきました。
一人夜勤の介護職員の不安にはいつでも連絡ができる体制をとり、申し送りも細かく行うようにしていたことなどが、デスカンファレンスで職員の思いを聴くことで共有することができました。
残された家族が前を向いて人生を続けていけるよう
葬儀から1カ月後に自宅に訪問した時の娘の言葉は「母は自宅で20年近くずっと父の看病をしてきました。先生や訪問看護の看護師さんが帰った後は、いつも一人で不安だったと思います。それでも一緒にいたくて、少しでもそばにいたくて、毎日入院中の病院にも通っていました。施設でお世話になって寄り添えて母は満足したと思います。父も病院には行きたくないと入院することを嫌がっていましたから、自宅にも少し帰ってくることができて満足していると思います」と頭を下げてくださいました。
妻の言葉に「こんなに早く逝ってしまうとは思っていなかったが、最期は毎日顔をみることができてよかった。面会に行くと職員さんに私の話も聞いてもらえて、夜には不安で施設に電話をしても夫の様子も教えてもらえ安心した。コロナ禍で最期の死に目にも会えずにいる人もいるのに寄り添えてよかった。だんだん弱っていく夫をみるのは本当に辛かったが、毎日会えてよかった。ほんとによかった」と言ってもらえたことは嬉しい言葉でした。
残された家族がこれからも前を向いて人生を続けていけるような関わりを続けていきたいと思います。
未来にのこしたいコロナ禍のキラッと看護介護実践集より引用
もっと読みたい人に!書籍のご紹介
未来にのこしたいコロナ禍のキラッと看護介護実践集

COVID-19が猛威を振るい始めてから3年以上が経過し、ワクチンや治療薬が承認され2023年5月8日に感染症5類になりました。通常の医療を継続しながら、感染対策や陽性者の対応・地域の問い合わせに翻弄させられた日々、「まず診る、支援する、何とかする」を実践した日々を忘れてはいけない。後世に残し継承するために、全国のキラッと看護介護のほんの一場面ですが一冊にまとめました。このコロナ禍で起きたことが、なかったことにされないように今後に同様な事態が起きた時に同じことが繰り返されないように、いのちに寄り添った生きやすい社会であることを切に願います。
全日本民医連 看護委員会
掲載日:2025年11月16日/更新日:2025年11月17日







