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熊本|コロナ禍での災害支援を通して|キラッと看護介護実践集より

コロナ禍での災害支援を通して~新たな出会いでの気づき~

社会医療法人 芳和会 菊陽病院 / 総看護師長 宮本 詩子

 

▲看護師+多職種でチームを組み支援活動

▲ボランティアセンターで健康相談コーナーも

70年にわたり災害時の支援活動を続ける熊本県民医連

熊本県民医連は1951年熊本保養院として出発しました。他の精神科病院では実施されていない作業療法やレクリエーション・自治会活動などに取り組んできました。精神障害者への偏見や差別が強い中、基準給食や基準看護、基準寝具を県下で最初に取得するなど当時の精神科医療に大きく貢献してきました。1953年熊本大水害の時に支援に来ていた民医連のスタッフと一緒に支援活動を行ったことをきっかけに全国民医連に加盟し、その後も全国で相次ぐ災害への支援活動に参加してきました。2016年の熊本地震の際には全国から1042名(のべ4731名)の方の支援や物資支援などいただきました。改めてお礼申し上げます。

コロナ禍、豪雨被災した球磨村に支援に出向く

【コロナ禍での災害】
2020年2月21日、第45回全日本民医連定期総会が熊本で開催されているまさにその日に、県内で初めて新型コロナウイルス感染症が確認されました。国内の感染確認から約1カ月、熊本での総会開催に向け感染対策の準備などに駆け回ったことを今でもはっきりと覚えています。総会後より、目に見えない未知のウイルスとのたたかいが始まりました。そんな中、2020年7月、熊本県南部の球磨川流域に線状降水帯が長時間停滞。河川が氾濫し建物・橋梁の破壊、消失などにより甚大な被害が出ました。本来であれば国はもちろん全国からの支援が届くはずでしたが、熊本県はコロナ禍で他県からの支援の受け入れを制限しました。そこで熊本県民医連の職員でまずは事業所の職員や患者さん、友の会会員の被害状況を確認し、住宅の片づけや泥かき、つながりのある特別老人ホームへの人的・物的支援など民医連事業所以外への支援を行いました。豪雨被災から1カ月が過ぎ、他にも困っていることがあるのではないかと県の社会福祉協議会と懇談しました。甚大な被害の出た人吉市にボランティアセンターを立ち上げ、サテライトとしてボランティアセンターが球磨村の避難所に設置されているものの、球磨村へと続く唯一の国道が豪雨により寸断されている箇所がいくつもあり、球磨村の支援が遅れているとのこと、救護にあたる看護支援がなく困っている球磨村への支援が欲しいとのことでした。球磨村は県最南部に位置し人口約3200人、高齢化率44.8%というところです。一番近い民医連の事業所でも車で1時間以上かかる地域です。それでも必要としてもらえる場所があるならばと県連豪雨災害対策会議で確認し看護師とその他の職種3人1組のチームを組んで支援活動を始めました。

 

【ボランティアセンターでの活動】

球磨村のボランティアセンターは避難所となっていたさくらドームの中にありました。ボランティアセンターのスタッフは球磨村社協の方を中心に県内社協からの支援、災害活動をしている団体の方で運営されていました。私たちの役割はボランティアに入られる方の検温、体調確認など感染対策に加え、支援に入った8月は30℃を超す日が多く作業を終え帰ってくるボランティアの方に冷えた飲み物やタオルを準備したりするなどの熱中症対策です。看護師以外の職員はボランティアの方と一緒に作業に入ったり、ボランティアセンターの片づけをしたりしました。

仮設入居者の健康相談にも積極的に対応

【ある男性との出会い】
さくらドーム周辺に仮設住宅が出来たのは被災後2カ月以上たった9月末でした。ボランティアセンターでの救護担当としてだけでなく、仮設入居者の健康管理や相談などできないかと考え看護師在中のチラシを作成し全戸に配布しました。「被災するまでは毎日血圧を測っていたけど、血圧計も流されてしまったから測れなかった」「被災後ほとんど家にこもってしまい運動できてない」「飲酒量が増えた」などいろいろな方が顔を出してくれるようになりました。持病のある弟さんと避難所からトレーラーハウス(移動式仮設住宅)に移り2人で生活をされているAさんは毎日血圧を測りに来て、これまでの生活やこれからの不安などを話してくれました。私たちが支援に入れない日も顔を出し「今日は来てないの?」と尋ねられていたそうです。何のつながりもない場所で出会った人に名前を覚えてもらい、待ってくれている人がいる。新人看護師の時に受け持ち患者さんに名前を憶えてもらった時の喜びを思い出させてくれました。

【おわりに】
支援活動期間中にボランティアセンターでは新型コロナウイルス感染症の発生はありませんでした。支援活動をするなかで「民医連ってどんな組織なんですか?」「なんでこんなところにまで来てくれるんですか?」「コロナで医療機関は大変なんじゃないですか」とたくさんの方に声をかけられます。
あらためて民医連の存在意義を考えると、必要な時に必要としてくれる人たちのそばにいることができる組織ではないかと思いました。
これからも「困難なところに民医連あり」の言葉どおり、待っているだけでなく自ら地域に飛び出し、医療・介護、看護の専門性を生かして「誰ひとり取り残さない」支援を継続できる組織でありたいと思いました。

 

未来にのこしたいコロナ禍のキラッと看護介護実践集より引用

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もっと読みたい人に!書籍のご紹介

未来にのこしたいコロナ禍のキラッと看護介護実践集

COVID-19が猛威を振るい始めてから3年以上が経過し、ワクチンや治療薬が承認され2023年5月8日に感染症5類になりました。通常の医療を継続しながら、感染対策や陽性者の対応・地域の問い合わせに翻弄させられた日々、「まず診る、支援する、何とかする」を実践した日々を忘れてはいけない。後世に残し継承するために、全国のキラッと看護介護のほんの一場面ですが一冊にまとめました。このコロナ禍で起きたことが、なかったことにされないように今後に同様な事態が起きた時に同じことが繰り返されないように、いのちに寄り添った生きやすい社会であることを切に願います。

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掲載日:2025年9月26日/更新日:2024年9月24日